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主君を何度も変えた武将 [武将]

今回は城ではないですが・・・
私の好きな武将の一人は藤堂高虎です。





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藤堂高虎とは戦国時代から江戸時代初期の武将・大名で身長は6尺2寸(190センチ)あったそうです。
高虎は生涯に七回主君変えたそうです。
ですが決して裏切ったわけではなく、主君が亡くなったり、
追放されたり、また主君と折り合いが悪かったりとしたためでした。
また築城の名手として知られ宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などを築城しています。
今治城は堀に海水を引き入れた城で日本三大水城の一つとなってます。
最近、この今治城の堀にサメが泳いでいたと話題にもなってました。
私の好きな山城では猿岡山城、赤木城などを築城しています。
築城の特徴として石垣を高く積み上げるのを好んでいたそうです。

藤堂高虎を語るうえで欠かせないエピソードがあります。
浅井家の旧臣である阿閉貞征の元を出奔し、各地を流浪していたとき
三河で路銀がつきて三河餅を無銭飲食してしまい
餅屋の主人に諭され路銀までもらいました。
後に高虎が大名になり参勤交代で立ち寄り餅代を支払ったそうです。
高虎の旗指物(自分や自分の部隊の目印として背中に差していた小旗)は三つ餅でした。





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私が好きなエピソードは
「自分に仕えるのが嫌になったら、他に仕えてもいいそこも嫌になったら、また前と同じ禄(給与みたいなもの)で召抱えてやるからもどってこい」と言っていたそうです。
また実際に出奔したものをまた召抱えているみたいです。
こんなこと言って実行できるなんてホントかっこいいですよ。
密かに大河ドラマにならないかなぁ~なったらいいなぁ~とか思ってます。

このブログのタイトルの「鮫鞘好むへからす」は藤堂高虎家訓200箇条(ホントは204箇条だけど)からです。
鮫鞘は鞘材として木の上に鮫皮を巻いてその上に漆を塗り、
砥石で削ると美しい模様を浮き出させたものでとても美しいものでした。
しかし雨が降り湿ると締まりすぎて刀が抜けにくくなることがあったどうです。
理由書かれていないそうですが、刀のように命を預けるような大切なものは見た目ではなく実用性で選ぶべきだということではないでしょうか。





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