電車で大月駅付近を通ると、岩肌が露出した特長あるけわしい山が見えます。
この山にあった山城が岩殿山城です。
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この城は戦国時代、武田が本拠地としてかまえる甲府盆地の東の守りとして小山田氏により作られたとされています。
小山田氏とは武田と縁戚関係を結ぶなどし、武田24将に数えられるようになります。
その後長篠の戦いで敗戦し織田の甲斐攻めにより弱体化し再起を図るために岩殿山城を訪れた武田を裏切るりその後武田は滅亡する。
裏切った小山田氏も織田に許されることはなく武田のあとを追うように滅亡した。
岩殿山城は見た目通りにけわしい断崖を利用した攻めにくく守りやすい難攻不落の城です。
城郭構造は連郭式で本丸と各曲輪を直線に並べた構造していました。
現在は本丸、二の丸、三の丸、蔵屋敷、兵舎、番所、物見台、馬屋、揚城戸、空掘り、井戸帯郭、狼煙代、馬場跡が残っています。
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この山城は電車で大月駅付近を通るたびに毎回見てしまい、
あれは何なんだろうとずっと気になっていました。
調べてみたところ城があって、武田滅亡に大きく関わっていたということに驚きました。
この城は私が山城が好きになるきっかけの一つでした。
標高634mで東京スカイツリーと同じ高さみたいですね。
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