岩村城は織田信長の叔母のおつやの方が城主を務め悲運の物語が残っています。また日本三大山城のひとつとしても数えられています。
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美濃と信濃の境に近く、交通の要所であったためこの城をめぐって織田と武田の間激しい戦が行われていました。
美濃を手に入れた信長は岩村城主遠山景任に叔母であるおつやの方を嫁がせ、東美濃に勢力を誇る遠山氏との結びつきを強めました。
しかし戦の傷がもとで景任は病死してしまいます。二人の間には子供がいなかったため信長の五男坊丸を養子として向かえました。坊丸はまだ幼かったためかわりにおつやの方が当主となりました。
その後武田信玄の上洛の際に秋山信友に攻められ、おつやの方を信友の妻にむかえることと坊丸に家督を譲ると坊丸に家督を譲ることを条件に開城し武田方につきます。
しかし信玄の病死にはじまり長篠の敗北により奮闘するも追い詰められ落城してしまい、城外で信友とおつやの方は逆さ磔に処されてしまいます。
こんな物語が残る城です。
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岩村城は六段壁と呼ばれる巨大な石垣がとくにめをひきます。六段壁はひな壇上の石垣が6段つまれています。現在は本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、石垣、井戸などが残ってます。
この山城の付近はよく霧がでたために別名を霧ヶ城といい、霧がでたときの石垣と霧の感じがたまりません。
また井戸に蛇の骨を投げ入れると霧が発生するとかおもしろい伝説があったりもします。
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